星空と、色えんぴつ

日々の小さな発見や、ちょっと面白いこと、楽しいこと。

「褥瘡」という漢字、なんと読むでしょうか。

学生の頃、福祉について勉強していた時期がありました。

当時、周りには「向いていると思う」

「保育園の保母さんになったらいい」など

勧められることもありましたが、

結局、本格的には取り組まず、資格は取りませんでした。

(実習には参加しなかったし)

 

自分自身は、物心ついた頃から、

「絶対マンガ家か小説家になりたい」と思っていたので。

そのために社会的な人生からは外れてしまったかもしれません。

曲がりなりにも本は出版できたので、一応、悔いはないのですが。

 

ただ、福祉への関心もなかったわけではありません。

この時に手話を習っていたことが、

のちに要約筆記の活動をした時にも役立ちましたし。

 

 

ネットで見て、はじめて知りましたが、

この頃は「介護職員初任者研修」という

介護の初心者向けの制度もあるんですね。

現場が人手不足だとは、よく耳にしますし。

また、福祉の仕事には就かないとしても、

家族の介護をする立場になる可能性もありますしね。

 

学べるチャンスが増えるというのは良いですよね。

自分も福祉の道に進んでいた方が、

多少なりとも社会の役には立てただろうなとは、

たまに思います……。

 

 

ところで、先日、なにかのテレビ番組で

「褥瘡」という字が読めますか?と問題が出ていて、

これは「じょくそう」だと思い出しました。

寝たきりのお年寄りが、ずっと同じ姿勢で寝ていたら

身体の一部に壊死をおこしてしまう「床ずれ」の意味だと……。

習ったのは、もう20年ぐらい前なのに

それを思い出せたということは、

やっぱり、過去の勉強も脳みそのどっかには根づいているんですね。

いや、忘れたことの方がずっと多いんですけども(苦笑)。

「ビブリア古書堂の事件手帖」7巻を読みました。

ビブリア古書堂の事件手帖」(三上延/著 メディアワークス文庫

楽しみにしていた7巻を読みました!

 

ベストセラーになった作品だしドラマ化もされましたが、

自分が読みはじめたのは、もっと遅くて、

ドラマも終わってからだったと思います。

最近流行っている本をめったに読まないので(読めよ)

なかなか手が伸びなかったのですが、

ヒロインの栞子さんのような凄い「本の虫」ではなくても、

本好きにとっては、とても魅力的な作品でした。

 

もちろん物語も良いのですが、このシリーズの魅力は

本にまつわる知識にも色々触れられていることですよね……。

ささやかなことですけど、

本の背についている、しおり用の紐を

「スピン」と呼ぶことも、ビブリアを読んではじめて知りました。

 

そして、物語の中に、自分が読んだことのある作品が登場すると

ちょっと嬉しいです(笑)。

アントニイ・バージェス時計じかけのオレンジ」とか。

主人公のあまりにアレな性格と大量のルビで、

途中で投げそうになりながら、頑張って最後まで読んだんですが、

あの小説には違う結末もあったとはね……。

ほか、ロバート・F・ヤングたんぽぽ娘」とか。

……あ、私が「たんぽぽ娘」を読んだのはビブリアより後だっけ。

でも、ヤングのほかの短編集が面白かったので、

あの作者さんだ、と思っただけでも嬉しくなりました。

 

もちろん、読んでいない作品の方がずっと多いので、

もっと本を読まなくちゃな~とも思います(^^;)

 

 

7巻の裏表紙に「物語に幕引きのとき」とあったので

ついに最終巻なのか、と寂しくなってしまいましたが、

本編が完結とのことで、番外編やスピンオフとしては

まだ続くとあとがきにあり、なんだかホッとしました。

さらにアニメ映画にも実写映画にもなるって、すごいですね。

映画館で上映されたら、ぜひ観に行きたいです。

なぜか夢に「PPAP」が出てきました……。

個人的に、ユング心理学に興味を持っていて、

少しずつですが、河合隼雄先生の本を読んでいます。

必然的に、「夢」に対して関心を持つこととなり、

毎朝、見た夢を思い出そうとしているのですが……。

これが、あまり覚えていないのですよね。

 

思い出せたとしても、意味が見出せるものばかりではないですが、

かなり、自分自身を見直すのに役立つ夢を見ることもあります。

でも、ここに私の精神分析とか書いてもしょうがないし、

他人の見た夢なんて普通は面白くないものですから、

夢ネタは書かないようにしてるんですが……。

 

 

「PPAP」をピアノで弾かなくちゃいけなくなる状況におちいり

一生懸命弾こうとしている夢を見てしまいました。

一体なぜ?(^^;)

 

そういえば昔、ブレイクしたお笑いで

ヒロシです」ってありましたよね。

あの背後でいつも流れている曲を

なぜかピアノで弾かなくちゃいけないって夢を

ずーっと前に見たこともあったので。

なんだろう、このパターン。

 

 

私は子どもの頃、ずっとピアノを習っていましたが

耳コピできるような音感なんかありませんっ!

 

はっ、もしかしたら、

音感がつかなかったというコンプレックスが

夢に出てきているのかしら?

……なんちゃって。

別に気にしているつもりはないんですが、

コンプレックスって、自覚している劣等感とは

また別のものらしいから、

絶対有り得ないとは言い切れないかもしれませんが……。

 

(なお、コンプレックスという言葉を今使われている意味で

使い始めたのもユングらしいです)

 

昨夜も河合先生の本を読んでいて、

夢の内容は、散々頭を悩ませても何もつかめないことは

よくあると書いてあったので、素人にはなおさら仕方ないでしょう。

分からない夢に無理やり意味づけしなくても。

 

ただ、「PPAP」はわりと好きですよ(笑)

レジで久しぶりに二千円札を見ました!

先月ちょっとだけバイトした話を書きましたが、

その時のことです。

 

自分はレジ担当だったのですよね。

苦手なので、本当はあまりやりたくないんですが、

(不器用で手際が悪いので……^^;)

イベント会場のため、カードや商品券などは扱わなくて良くて、

その点は気楽でした。基本的な操作だけで済むし。

 

なので、あるお客さんが、お支払いで

普通のお札とは色の違うものを差し出された時、

一瞬、商品券ならお断りしなきゃと思ったんですが。

よく見たら二千円札で……

わー、本物見たの何年ぶりだろう。

 

思わず一緒に仕事していた方たちに

後でレジから出して見せてしまいましたが、

みなさん「まだ流通していたんだ」とか

「もう廃止になってると思ってた」とびっくりされてました。

 

 

二千円札が発行された頃、

私はクリーニング屋さんで受付のバイトをしていました。

最初は面白がって、レジの釣銭を両替する時に

あえて二千円札を入れたんですけど……。

……ほかのスタッフの方に、すぐに邪魔扱いされるようになって

やめたことがあるなあ……と、思い出しました

 

 

でも、沖縄県では今でも二千円札が流通しているようです。

紙幣に「守礼門」が描かれている関係でしょうか……?

以前、沖縄で暮らしていたことのある友人が、

「何度も見たわけじゃないけど、入手は容易にできる」と

言っていたような……。

 

あのお客さんは沖縄の方だったりして……?

 

 

ちなみにその友人は、

とあるお寺の寄進箱で、百円札を見たことがあると言ってます。

 

うわーそんなの見たことないよ!

しかもお寺でって、すごくご利益がありそうじゃないですか?

なんとなく……。

 

お店のレジに百円札を持ってくるお客さんは、

さすがにいませんよね……。

ほぼ絶対に有り得ないとは思いますが、持って来られたら困ります。

本物かどうか判断できませんから~!

「バンジーチャイム」という楽器の演奏(?)をしました。

ソラールに行った話を2回に分けて書きましたが、

その帰り際でのお話です。

 

2階の常設展も楽しんでから、

そろそろ帰ろうとしていたところで、

職員の方から声をかけていただきました。

 

「バンジーチャイム」って見たことありますか?……と。

 

ほかに来られていたお客さん

(2歳の女の子を連れていたお母さん)と一緒に、

それを見せていただきました。

 

ジャンル分けしたら楽器なのでしょうが、

言われなければ楽器とは分からないかもしれません。

画像を撮ることができなかったのが

とても残念ですが……。

いろんな長さの、金色の棒が、

1から番号を振られて、

ずらっとケースに並べて立てられています。

 

金色の棒を床に落とすと、

それぞれの棒の長さに応じて、

まさに、「チャイム」のような音が響きます。

……そして落とすから「バンジー」というようです。

バンジージャンプのバンジーですよね)

 

振られている番号通りの順番で落とすと、

「星に願いを」の曲になりました。

 

もちろん、ほかの曲も、

棒の番号をメロディー通りに組み直せば

いろいろ演奏できるというわけですね。

 

私も挑戦させていただきましたが、演奏といっても、

棒を順番通りにリズムよく落とすだけなので

あまり「楽器を演奏する」という感じでもないですが……。

(だから記事のタイトルに(?)をつけてしまった)

楽譜が読めなくても、誰でもできそうです。

 

イベントなどで、人数が集まった時に

輪になって、みんなで1~2本ずつ棒を持って

順番通りに、棒を落としていけば、

全員でひとつの曲を演奏できて、一体感も高まるとのこと。

チャイムっぽい音なので、クリスマスにも良さそうですね。

学生の頃にハンドベルをやったことがありますが、それより簡単だし。

 

演奏したあとには床に散らばった棒を

片づけなければなりませんが、

みんなですれば、すぐに終わりますしね。

2歳の女の子も、お片づけを手伝ってくれていて

可愛かったですよ。

 

珍しいものを体験できて

ますますソラールって良いなあ!……と思いました(笑)

以上、「バンジーチャイム」についてのお話でした。

 

 

※追記

後日知りましたが、

バンジージャンプ」の「バンジー」はゴムひもという意味だそうなので、

バンジーチャイムには関係ないのかも。ごめんなさい。

ソラール「宇宙科学ヒストリー」に行ってきました。(その2)

誰もいなかった会場で、目の前に現れた人影。

ちょっとびっくりしたんですが、

その正体は……

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マネキンでした。

こんなオチでごめんなさい!(笑)

 

こちらは宇宙服のレプリカだそうです。

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これはISS(国際宇宙ステーション)の模型ですね!

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ISSは夕方に地上から、光の点のように見えることがあります。

地元の天文同好会の広報紙で、

ISSを見ることができる日時や方角を教えてくれています。

おかげで、私も一度だけ、

それらしき光の移動を見ることができました。

 

もちろんISS自体は発光していないでしょうが、

夕方だと地上が暗くなるのに対して、

ISSの周回軌道にはまだ太陽の光が当たっているから、

光を反射して見える……って、ことかな?

 

 

あと、こちらのパネルでは

宇宙で食べられる日本食について。

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宇宙食というと、

昔はいかにも美味しくなさそうなイメージがありましたが

今ではラーメンもカレーも食べられるんですね。

 

きっとISSに乗っている方々は

こうしたお食事をされているのでしょうね……。

 

 

宇宙から地球を見たら綺麗だろうなあと思うし、

宇宙空間への憧れはありますけど、

かなりの高所恐怖所&乗り物酔いに非常に弱いため

飛行機にもジェットコースターにも乗れない人間なので……

仮に宇宙に行くチャンスがあったとしても、

そんな勇気は出ないだろうなあ。

 

……最近では葬送の方法として

宇宙葬」も可能になっているらしいし、

もしかして、死んだあとなら、

宇宙に行けるかもしれませんけど。

 

まあ、生きているあいだは、

地上から、星空にほんのり憧れているぐらいがいいかな。

 

 

そんなわけで(?)

ソラールさん、また天文学にまつわる企画展を

よろしくお願いしま~す!

ソラール「宇宙科学ヒストリー」に行ってきました。(その1)

防府市青少年科学館ソラール

パネル展「宇宙科学ヒストリー」に行ってきました。

 

ソラールは、科学に関する

色々な展示物を見たり、

面白い体験をしたりして、

楽しく学ぶことができる場所です。

私の好きな天文学系、パズル系の

企画展を開催してくれることもあり、

個人的に大好きなところです。

 

こういう場所が近くにあったら

もっと科学に興味を持つ子も出てきそうで良いなって、

訪れるたびに思います。

自分が子どもの時に来たかったなあって

羨ましくなっちゃいますよ。

 

 

この企画展では、

展示物はすべて撮影OK、

ブログやSNSでシェアして良いと

お知らせくださっていたので

遠慮せず画像を撮らせていただきました。

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 ロケットや人工衛星などの

展示中心だったので、

星好きの自分の関心とは少し外れていますが、

ニュースでよく名前を聞いていた

小惑星イトカワって、こんな歪な形だったのかーと

パネルを見て思ったり……。

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……あとからソラールのホームページを見てみたら、

イトカワの模型も展示されていたようですが、

なぜか気づいていなかった私。

 

平日に行ったこともあり、

ほかのお客さんはほとんどいらっしゃらなくて、

(もう展示期間も終わりかけているし……

明日の3月5日(日)が最終日だったはず)

会場内には人の気配がなかったため、

マイペースにウロウロしていたのですが、

突然人影が目の前にっ!

 

その正体は……(その2)に続きます。

水素水と、お仕事の話。

先週、また少しだけ、

某所のイベントでアルバイトをしていました。

苦手なレジの仕事だったので、疲れてしまいましたが。

 

 

以前、ガラポン抽選会でスタッフをした時に、

水素水を飲んでみたことがあります。

いろいろな効果が期待されるそうですが、

疲れにくくなる、とも聞いていたので。

 

自分の体感としては、

やはり飲んだ方が、身体が楽だった気がします。

体力不足で、すぐバテるので、私……(汗)

 

なので、今回のアルバイトでも

「水素水飲みたいな」とちょっと考えたのですが、

数日しか働かないのであれば、

水素水の代金まで出せないなという結論に……。

 

そもそも、このたび疲れたのは、

体力的に、というよりも

慣れないことで精神的に疲れた感じなので、

あまり水素水は関係なかったかも。

 

 

無名の小説家なんて、

いつ本を出してもらえるのか分からないし、

(そもそも、本当に出してもらえるんだろうか……?)

ふつうのアルバイトより、ずっと不安定な仕事です。

 

作品の出来は未熟だけど、

本にしてもらえること(素敵なイラストもつけてもらえるし)、

全国の本屋さんに、その本を置いてもらえることが嬉しいという……

そんな書籍フェチじゃなくちゃ続けられなかったかもしれません。

いや、これはあくまで私の場合であって、

才能、実力のある方はまったく別でしょうけど。

むしろ私など、続けさせてもらってるだけで

担当さんに感謝してますよ。

 

 

経済的なことを言えば、もちろん兼業で行くべきですが、

体力がないので、がっつりも働けず。

今、宙ぶらりんな状況にある感じですが……。

 

いつまで小説を書かせてもらえるか、分からないものの、

今はもう少し、アルバイト以外の可能性を模索してみたいです。

中途半端ながらも、いろんなことをやってきたので、

まだ、なにかできることがあるような気がするし。

 

模索してみて、やっぱり厳しかったら、

いずれは、ライター兼フリーターになるのが

一番現実的だろうとは思っています。

それでも、私にとって何よりの望みだった

出版の夢を叶えられたんだから、

その夢が叶わなかった場合に比べたら、

後悔はしない気がします。

 

……まあ、フリーターに戻った時は、

体力不足を少しでもおぎなうために

あらためて水素水のお世話になるかもしれません……ハイ。

数字に色がつく、味にカタチがある……「共感覚」のふしぎ。(その3)

しつこく「共感覚」のお話です。

 

今回、手に取った

「カエルの声はなぜ青いのか?」という本には、

目からウロコが落ちるようなお話がたくさんありました。

 

読んでいる途中、少なからず感じたのは、

こうした「共感覚」を自分でも体験してみたい気持ちでした。

 

共感覚者であることで(そのタイプにもよるようですが)、

芸術家になった方も多くいるらしいし。

私自身もまっさきに感じたのは、共感覚が、

何かしら創作のヒントにならないか?という期待でした。

だから、興味深くこの本を読んだのです。

 

が、共感覚がなくても、そもそも、私たちの感覚には

まだ、意識したこともなかった見方があるのに気づきました。

 

 

この本によると、

そもそも、現在の科学では。

人間に備わっている感覚は、

視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の「五感」だけではないと

言われているそうです。

いくつ数があるとするかは、考え方によるようですが。

 

同じく皮膚で受け取る感覚であったとしても、

触感と、「痛覚」「温度感覚」を、

別の特性を持つものとして数える、という考え方もあるし、

今まで知らなかった感覚の定義もありました。

 

そのひとつが、「固有受容感覚」……目をつぶっても、

自分の手足がどこにあるか分かる感覚です。

この感覚がなくなってしまった方は、

意識していなければ、かばんを持ち続けることもできないし、

たえず、自分の手足をじっと見ていないと

それがどこにあるのか分からなくなってしまうそうです。

(この固有受容感覚に対する共感覚を持つ方もいるそうです)

 

この感覚は、触覚ともまた違うものだというところで、

私は、面白いな、と思ってしまって。

 

なにが面白いかって、

どんなに未熟であれ、創作活動をしたい人間としては、

共感覚のように、「みんなと違う」ものに

魅力をおぼえてしまったりするけど、

「みんな持っている」のに、特に意識したことのない感覚が、

自分の内部にも、まだまだあるんだ、ということ。

 

決して特別な人間ではなくても、

自分が世界をどう見ているか、どう感じているかということは、

実は個人個人で違う、オリジナルなものかもしれません。

そのユニークさに、より気がつくほど、

たとえ平凡な1日であっても、この不思議な世界で、

もっと豊かに過ごせるのではないかと感じました。

数字に色がつく、味にカタチがある……「共感覚」のふしぎ。(その2)

共感覚の中でも、「音に色がつく」という事例から、

真っ先に思い出したのは、

絶対音感」(最相葉月/著 小学館/刊)という本を読んだとき、

「ドレミ……」のそれぞれの音や、音階によって、

色が見える人がいる、というお話でした。

 

この本は、今も手元にあるので、

ちょっとだけ読み返してみますね。

 

絶対音感を持ち、色を感じる人たちに対して

調査がおこなわれたことがあったようです。

ドではじまる基本的な音階「ハ長調」を

白と感じる被験者が多い、など、

音によって異なる色彩感覚を持つ方たちがいることが

確かに書いてありました。

これは「共感覚と呼べる」という記述もあります。

 

ファではじまる「ヘ長調」には

緑を感じる人が多かったそうですが、

実際、ベートーベンの「田園」などもヘ長調の曲だとか。

……子どもの頃ピアノを習っていたくせに、あんまり音感のない自分は、

転調すれば音の高低が変わるだけに思っていたんですが……

何調の曲か、ということは、

単にキーの高さだけの問題ではないのですね。

ベートーベンにも、ヘ長調は緑色に見えていたのでしょうか?

 

 

もちろん、色が見えるなんて錯覚ではないかという

意見を言う人たちも存在します。

 

が、ここで「カエルの声はなぜ青いのか」の本に戻りますと。

音楽ではないですが、言葉で「色が見える」共感覚

持っている人の脳を調べてみたところ、

実験中、被験者は目隠しをされていたのにも関わらず、

「V4」と呼ばれる、色彩情報処理専門の視覚野の部位が

活性化していた、という実験結果が書いてありました。

要するに、科学的には「色が見えていた」と言っていいそうです。

 

共感覚を持っていない人が、

言葉と色の関係を丸暗記しても、

同じような結果は出せなかったとのことですから……。

 

多くの人にとっては想像できない感覚であっても、

勝手に「気のせい」「錯覚」だと

決めつけることは、できないのですよね……。

 

うーん、まだ書ききれないので、

共感覚」のお話、もう1回だけ続きます。

数字に色がつく、味にカタチがある……「共感覚」のふしぎ。(その1)

「カエルの声はなぜ青いのか? 共感覚が教えてくれること」

……という本を読みました。

(ジェイミー・ウォード/著 長尾力/訳 青土社/刊)

声が「青い」だなんて、まるでポエムのようですが、

これは詩的な本ではなくて、科学的な本です。

 

冒頭に、カエルの鳴き声が青いと主張する

小さな男の子が登場します。

そこでは、「色聴」という、耳慣れない言葉が登場します。

 

音や、文字、数字などに固有の「色」がついて見えたり……

味に対して、丸いとか尖っているといった「形」を感じたり。

あるいは、言葉によって違う「味」を、本当に口の中で感じたり。

 

そうした、通常考えられる感覚とは別の、

もうひとつの「感覚」を持つ人たちがいるそうです。

その感覚を、「共感覚」といいます。

 

共感覚研究の第一人者である著者は、

共感覚は「異常」ではなくて、

「もうひとつの現実」だといいます。

共感覚を持っていることの利点もあり、

持っている人も、それを「なくしたい」と思わない人が多いとか。

 

しかも、仮に150人の知り合いがいるとすると、

そのうちの6~7人に、

五感のうちの1つを含む共感覚者がいる……

という記述もあったので、

きわめて珍しいというわけではないのかも。

 

人によっては、自分の身体の周りに、

曜日がずらりと並んで見えるとか、

とてもユニークなことが書いてあって、

「本当?」と、にわかには信じ難い感じもありますが、

すごくイマジネーションを揺さぶられてしまいます。

 

実際、芸術家になった共感覚者や、

自身は共感覚を持っていないけど、

それを熱望する芸術家も多く存在した、とありましたが、

深く頷けてしまうくらい、魅力をおぼえました。

 

また、この本を読み終えて、

ある意味で、自分の「世界に対する見方」を

もっと見直さなくちゃな、と思ったぐらいに

響くものがありました。

 

というわけで、次回も「共感覚」のお話を

続けさせていただきますっ。

「サバイバルファミリー」を観てきました。

この映画では、

山口県でロケをおこなったシーンがあると知り、

地元民としては、観てみたくなりました。

地元がメディアに取り上げられると、

ちょっと嬉しい田舎住民のサガです(笑)

 

確かに……見たような景色が映ってましたが、

そんなことは置いておいても、観て良かった映画です。

 

突然襲ってきた大規模停電。

ガスも水道も、なぜか乾電池までもが使えない。

情報もないまま、水も食料も尽きていく東京。

そんな世界で、

生死をかけたサバイバルをおこなうことになった

とある家族のお話です。

 

 

映画の中でも、

思わず目を背けたくなるようなシーンがありましたが、

もしも、現実に同じことが起きたら、

それよりも、もっと残酷な事態が相次ぐでしょう。

 

映画だから、本当に残酷なことはオブラートに包み、

ユーモアまでもトッピングしてくれる。

 

でも、映画だから、現実に1人の死者を出すこともなく

私たちはあらためて学べるはずです。

日頃、便利で安全な生活を当たり前のように感じていても、

生きることは、もともと、これほど過酷なんだって。

 

文明に守られていない人間は、本当に脆い存在。

でも、同時に、強くしたたかで、

たくましい存在でもある、と思いました。

 

 

「サバイバルファミリー」の、その後の世界は、

どんな風に変わっていくのでしょうね?

私たちの生きている社会とのパラレルワールドとして、

想像してみると、興味がつきないところです。

 

こんなに考えさせられる映画をつくってくれてありがとう!と、

思わず、エンドロールに向かって拍手を送りたくなりました。

……電気が点くって、ありがたいですね。