星空と、色えんぴつ

日々の小さな発見や、ちょっと面白いこと、楽しいこと。

最近の少女漫画の、時代の変化の波……。(その2)

前の記事の続きですけど、

今回の5巻で、ショックだったのは

4分の1スペースがなくなるって書いてあったことです。

ささやかなようで、やっぱり重大な変化だと思う。

 

少女漫画をあまり読んだことのない方にとっては

なんのこっちゃ、という話になりそうなので説明しますと。

(少年漫画は雑誌を買ったことがないので分かりませんが)

雑誌掲載時に、漫画の本文中のどこかで、

ページの端に4分の1ぐらい、なんらかの広告が掲載されているのが

昔の少女漫画だと、普通だったと思います。

 

だから、広告の部分は、漫画家さんが原稿執筆時に

スペースを空けて描いていたんですよね。

 

昔の雑誌は、広告で成り立っていたものなのだそうです。

そう言われたら、昔買っていた少女漫画誌だって

子ども向けの広告がたくさん載っていたような気がします。

 

雑誌が広告を収入源にしていたなんて

当時の子どもの頭では考えもしませんでしたが。

仮に考えたとしても、

単純に雑誌の売上で回ってると思いますよ……。

でも今思えば、漫画家さんの原稿料に編集者の人件費など、

かかる経費も多そうですもんね。

 

 

そして、雑誌掲載時に広告を掲載していた4分の1スペースは、

書籍になった時に空白になってしまうので、

その空白を漫画家さんが埋めることとなります。

 

漫画によっては、イラストで穴埋めされていたり、

雑誌掲載時にはなかったコマが書き足されたりしていますが、

漫画家さんが作品の裏話とかエッセイを書いていることも多いです。

作者の方の素顔も垣間見えるため、

ファンにとっては嬉しいおまけ要素でした。

 

小説で「あとがき」を楽しみにするのと同じようなものですよね。

やっぱり、あとがきがない小説はちょっとつまらないもん。

 

……が、企業も広告をスマホのアプリ等へと移行しているので

広告のスペースが必要なくなったため、

次巻以降、その4分の1スペースがなくなってしまうとか。

 

私、日渡早紀さんの漫画も好きなんですけど、

独自の視点でのエッセイ文も好きでした。

読みたければ、日渡さんのブログを読めばいいのですけど、

やはり、さみしいです。

4分の1スペースがなくなっても、

どこかの空きページに何か書いて下さらないかしらー(希望)

 

 

もちろん、ストーリーそのものも続きが楽しみなので

次の巻は、また1年後……と思うと待ち遠しいです。

作者様には、身体に気をつけて

長く描き続けていただけることを祈っております。

最近の少女漫画の、時代の変化の波……。(その1)

引き続き本のお話ですが、こちらは漫画です。

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日渡早紀さんの「ぼくは地球と歌う」5巻です。

私が○○歳になった今でも、少女漫画で

新刊を追っている唯一の作品だったりして( ̄∀ ̄)

 

10代の時に読んでいた

ぼくの地球を守って」という

愛読していた漫画の次世代編なので……。

主人公の息子が、このお話での主役になっています。

 

正確に言うと、先に「ボクを包む月の光」という作品が

「次世代編」として続いていて、

「ぼくは地球と歌う」は「次世代編Ⅱ」という位置づけです。

本当に長い長い作品ですが、一読者として

好きな作品をいつまでも追っていけるのは嬉しいです。

過去に苦しんだ登場人物たちの、未来がいとおしく思えて。

(でも、今のストーリーもまた大変なことになっていますが……)

 

 

……ただ、この記事には

漫画の感想を書こうと思ったのではありません。

書きたいのは、少女漫画界も

昔からずいぶん変わって来てるんだなーという話です^^;

 

4巻で、これまで連載されていた

別冊花とゆめ」が休刊になるため、

同じ白泉社の「メロディ」という別の雑誌に引っ越して

続けることになった……と書いてあった時も。

出版不況、やはりそれだけ深刻なのだなあと

ちょっと動揺しました。

 

雑誌の休刊が増えていることは知っていますが、 

別冊とはいえ、大手の「花とゆめ」が、って感じです。

紙の漫画雑誌のニーズがそれだけ減少してるってことですよね。

時代の変化なので仕方ありませんが、なんか、さみしいです。

 

 

なので5巻から「メロディ」での連載になって

本屋さんでコミックスをちゃんと見つけられるか

ちょっと心配しておりました^^;

(まったくの杞憂でしたけど)

 

が、5巻にはそれ以上にショックなニュースがありまして。

……長くなるので、次の記事に続きます。

岡嶋二人「クラインの壺」を読みました。

前回、「ホログラムが夢の世界を見せてくれたらいいのに」

……という記事を書きましたが、

なにを能天気なことを書いていたのだろう、と思わされました。

 

この小説は、仮想現実の恐怖を描くミステリーです。

 

私が読んだのは文庫版ですけど、

ハードカバー版は30年前に出版されたので

もう古い小説と言ってもいいかもしれません。

五感をともなう仮想現実のゲームを舞台にした小説なのですが、

実際にバーチャルリアリティのゲームで遊べる今ならば、

そうしたお話はいろいろ出版されているのではないでしょうか。

 

それに、「クラインの壺」は昔ドラマ化されていて。

最後のあたりだけ観ていたので、

実は、オチがどうなるかは大体覚えていました。

 

しかし、覚えているのにもかかわらず、心底怖かったです。

 

主人公がゲームの世界に入っていくまでのプロセスが

非常に丁寧に描写されていて、

リアリティをおぼえるせいもあるかもしれません。

そのゲームの中で徐々に発生してくる異常な事件に

とにかく背中がざわざわして。

 

もしもこのようなゲームが実際に開発されたなら。

ゲーム会社が良心的であれば、

どんなに夢のある世界でも作ってくれるでしょうが、

悪意があれば、ゲームに入ってしまった無力なプレイヤーは

どんなことをされてしまうか分かりません。

作中では敵に捕まって拷問を受ける可能性まで示唆されます。

 

もしもドラマ版を観ていなかったとしたら、

衝撃の結末をどれだけ楽しめただろう、とも思うんですが。

私、怖い話は大の苦手なので、

もしもオチを知らなかったとしたら、

途中で投げたくなったかもしれません^^;

眠れないからと夜中に読むんじゃなかった(笑)

 

でも、最高に面白い小説でもありました。

この記事を読んだ後、「クラインの壺」を読む方が

絶対にいないとは言い切れない(と思う)ので

これ以上のことを何も書けなくて残念です……!

 

普段、あまりミステリーを読まないのですが

岡嶋二人さんの他の小説ももっと読んでみたいと思いました。

ソラール「光のイリュージョン展2」に行ってきました。(その3・夢の世界……編)

回廊展示室で展示されていたのは

「光と音と映像の幻想作品」。

ちっとも上手く画像を撮れませんでしたが^^;

さまざまな光と音が織りなす癒し空間でした。

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高い天井には、オーロラをイメージした光が

刻々と形を変えながら流れ続けていて。

案内してくださったスタッフさんに教えてもらって、

よーく天井を見ていたら

一瞬だけ星々も現れたり……。

 

なお、以前、宇部の青少年会館で開催された

オーロラの映像の上映会に行ったことがありますけど、 

(当時の記事)

本物のオーロラは、テレビや写真で見るほどには

くっきりと見えないそうです。

もちろん本物のオーロラならではの感動もあるはずですが、

光の色としては、人工の方が綺麗かも……。

 

 

平日でお客さんが少なくて

ほぼ貸し切り状態だったこともあり、

この部屋で、流れ続ける光をながめながら、

スタッフさんとお話させていただいたのですが。

 

現在のホログラムは、あくまで平面上に

立体に見える映像を施す技術であり、

SF映画に出てくるような、

空中に立体的に現れるホログラムというのは

いまだに実現できていないそうです。

 

(ディズニーランドで、映像が

立体的に見える技術はあるそうですが、

それは鏡を利用している、と聞いたかな?)

 

将来は、立体映像の小人が床を歩き回ったり、

空中に魚の映像を泳がせたり……なんていう夢の世界も、

ホログラムの技術で現実化できるかも!

と、スタッフさんと空想の話で盛り上がってしまいましたが

でも、数十年後には空想ではなくなっているかもしれませんね。

 

ぜひとも私の生きているあいだに

そうした夢の世界を見せてほしいものです。

数十年後のソラールに期待しておきましょう\(^o^)/

ソラール「光のイリュージョン展2」に行ってきました。(その2・3Dステレオグラム編)

夏の疲れ?で更新が遅れてしまいました( ̄∀ ̄;)

ソラールの日記の続きを書きましょう。

 

 

ロビーにはホログラム作品が展示されていました。

平面なのに立体的に見える……というものは

ポストカード等でも時々見かけますけれど、

精巧につくられた作品は本当にリアルなのですね。

 

画像を撮っていませんでしたが、

不思議の国のアリスの作品が面白かったです。

特にチェシャ猫は、ニヤニヤ笑いを残して消えるという習性が

見事に表現されていて、すばらしかったです。

(習性とか言っていいのか……?)

 

 

それと3Dステレオグラム

うおお懐かしい!!

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目印として上側についている2つの黒い点が

3つに見えるように目の焦点をぼかすと、

平面的な模様の中から、絵が立体的に浮かび上がって見えるので

その形がなにかを当てる、というものです。

昔、流行りましたし、経験されている方も多いのではないでしょうか。

 

私も昔、練習して見られるようになったので、

見ること自体は、すぐにできました。

馬とかハートのマークとか、

4種類のステレオグラムがあったと思います。

 

お客さんの中には、ステレオグラムがはじめてで、

見えるまで繰り返しチャレンジし続けた方もいたそうです。

そういえば私も最初、なかなかコツをつかめなくて、

ムキになって練習したような記憶が……^^;

 

一方では、説明文を読んだだけで、

前を通りすぎながら、次々に言い当てた方もおられたとか。

一体どんな目をしていらっしゃるのでしょう??

私は集中しないと見えてきませんよ~。

 

なお、スタッフさんから、

「絵が浮かび上がって見えたら、

目の焦点はそのままで、後ずさりすると

遠くからでも、絵が立体的に見え続ける」と教わりましたけど

何度やってもできませんでした。

途中で集中力が切れてしまって、焦点がキープできなくて。

 

見えると思っていたステレオグラムでしたが、

私はまだまだ極めてなどいなかったと分かりました。

なにごとも奥が深いものですね。

ソラール「光のイリュージョン展2」に行ってきました。(その1・プロジェクションマッピング編)

防府市青少年科学館ソラール、

今回のイベントは光をテーマにしたものです。

 

「光のイリュージョン展2」とのことですが、

前回の開催は2015年だったとか。

覚えていないので、私は行っていないかも。

(このブログをはじめるよりも前なので、分かりません^^;)

 

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3面の3Dプロジェクションマッピングは見応えありました。

地方だから、あまりこういうの観る機会ないですもの~。

 

これも同じくプロジェクションマッピングだと思いますが

白いプレゼントの箱に、音楽とともに

さまざまな映像が投影されて可愛かったです。

 

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ほかにも楽しい展示物がたくさんありました。

子どもたちや、子ども心を持った大人(←私のこと)には

貴重な体験ができる場だと思います。

 

 

なお、開催は9月8日の日曜日までだそうです。

あと2日しかありません。

 

このブログは、ソラールを

勝手に応援しているブログなのですが、

いつも私がイベントの開催期間の終わりに行って

終わるギリギリになって記事を書くため、

ちっとも役に立っていないブログだと思います^^;

まあ今回は、夏休みが終わってからの方が

すいてるかな、と思ったのもありますけど……。

  

万一、この記事を見てから

行こうという方がいらっしゃったら、

服装は白っぽいものではなく

色のついたものにした方が良いかもしれません。

 

自分の影がカラフルに映る、という

不思議なスクリーンがありましたが、

白っぽい服だと、服の部分が映らなかったので。

(by白っぽい服で行った私)

母の免許返納に思ったこと。

高齢者ドライバーの免許返納の問題が

テレビなどでもよく報道されていますよね。

 

うちの母も去年、運転免許を返納しました。

 

周囲の方からは、

「やめようって思っても、なかなかやめられるものではない」

と言われていたそうですが、

母の場合は、やめたことで精神的に楽になったそうです。

もともと運転が好きではなかったとのことで。

 

 

そういう私は、もとから

絶対に自分には運転が合わないという

自信があった(?)ことなどから

結局、免許を取りませんでしたけど。

けっこう悩んだものの、今となっては

取らなくて良かったかなと思ってます。

 

妹は免許を持っていますが

実際に運転したことはほとんどないそうだし。

 

私が免許を取ったとしても、

同じようになったのではないかと思います。

うちは、こういう血筋なのでしょう^^;

 

 

母が免許を返納したことで、

時々、母の代わりに

祖母の用事にタクシーで付き添いをするなど

私も手伝うことが増えましたけど。

それでも、母の交通事故の心配が

なくなったという意味で楽になりました。

 

 

また、母の言うには

脚力の衰えも感じていたので、

「歩けなくなる前に、運転をやめた方が良いと思った」と。

 

確かに運転しなくなれば、

当然ながら、歩くことが増えますもんね。

高齢になり、歩く力が衰えてしまえば、

ますます運転をやめにくくなるのも現実なのでしょう。

 

ただ、母が免許を返納する決心がついたのは

運転が好きではなくて、

事故を起こさないという自信がなかったからなので、

逆に言えば、運転が好きで自信がある方ほど、

なかなかやめられないだろうし

周囲も説得しにくいだろう……と思いました。

本当に難しい問題ですよね。

積極的に手話を使った方がいい理由。

前回アルバイトの話をしましたけど、

このたび、ガラポンの会場に聴覚障がい者の方が来られて

ちょっとだけ手話を使う機会が2回ほどありました。

 

ホントに万年初心者レベルなんですけどね。

自分の場合、むかし福祉の勉強をかじったから

授業で手話を教えてもらう機会があったり、

フリーター時代に同じ職場にろうあ者の方がいたり、

要約筆記をやっていたので難聴者の方と話す機会があったりと

なぜか手話にふれる機会が多かったのです。

 

いざ使うとなると勉強不足なので

もちろん、うまく表現をできなかったり、

読み取りができなかったり。

恥ずかしい思いで落ち込んだことも一度ならずあります。

基本的に不器用な人間だし、

コミュニケーション能力自体、決して高くないし。

 

……ただ、それでも片言の手話を使おうと思うのは

こんな理由があります。

 

むかし、市の青少年会館で

ボランティアの講座を受講したことがありました。

手話や点字について習ったり、

お年寄りの身体が不自由な状態を体験したり、

(身体に重りをつけたり、黄色いメガネを装着したりして)

全部で数回ほどの講座でしたが、

いろいろ貴重な勉強をさせていただきました。

 

その時、手話の講師をつとめていた通訳者の方が、

こんな話をされたのが強く印象に残ったのです。

 

「聴覚障がい者の方にとっては、

周りに、すごく手話が上手な人が1人だけいるより、

手話が少しだけできる人が100人いた方が幸せ」なのだと。

 

……日本社会で少数派として生きるのはつらいものです。

確かに、少しでも手話を使える人が増えることが、

聴覚障がい者の方にとっての

幸福感にもつながるのかもしれないし、

あまり話せなくても、話そうとすることが大事なのかもしれません。

 

 

最近の自分は、手話を使う機会がなかったので、

NHKの手話の番組も観ることがほとんどなくなっていましたが、

今回久しぶりに少しでも手話を使えたことで、

観られる時だけでも観てみようという気持ちになりました。

昔習ったことも忘れてきている自分にも気づきましたし。。。

 

聴覚障がい者の方にとって、

手話がすごく上手な1人にはなれないけれど、

手話が少しだけできる100人のうちの

1人でいられたらいい、と思います。

 

手話通訳者とか奉仕員とかいった、

専門的なボランティアをするわけではなくても

接客業など、不特定多数のお客さんとお話する機会のある方は、

できれば少し手話の勉強をすると、喜ばれるかもしれませんよ。 

 

小説を書く仕事を、人にどう説明したらいいのだろう。

この夏は、いつものガラポン抽選会での

アルバイトに行っていました。

個人的に緊縮財政になりそうだし

いつもより多めにシフトを入れたのですが、

思いのほか、8月中にしなければならない

仕事や用事が入ってしまい、いろいろ後回しになって

ちょっと後悔する羽目に。。。

 

時間ある時はあるのに~、どうして重なる時は重なるんだ~!

 

 

……でも、まあ。

アルバイトは体力的にきついですけど

いざという時は、またフリーターに戻るかもしれないし

あまりブランクをつくってしまうのも怖いので

時には普通に働いておかねばと思います。

 

 

小説書いてることは、ここでは秘密にしてるので

(上司にはひそかに知られてるっぽいですけど)

一緒に仕事をしている人から、

「ほかの仕事してるんですか」と聞かれると

ちょっとドキっとします( ̄ω ̄;)

 

「小説家」って言ってしまうと

びっくりされますからねえ。。。

そもそも、出版経験はあるとはいえ、

小説家と自称できるほどの実力は

まだ自分にはないとしか思えないので、

あまり小説家と言いたくない気持ちもあります。

 

あと、印税もらってると儲かるってイメージとかありますけど

それは一部の売れっ子作家さんの話であって、

本当に儲かっていればガラポンのアルバイトには

行かないでしょうって話ですね( ̄∀ ̄)

 

どんな仕事もそうかもしれませんが

イメージと実態は違うものです。

興味本位で根掘り葉掘り聞いてくる人もいるから

あまり説明したくない仕事です。。。

 

 

……だから、ほかに仕事をしているかと聞かれたら、

「仕事はしてます」と答えますけど

(なかなか本出ないから、収入あまりないけれど、

仕事をしているのは間違いないし)

「どこに行ってるんですか」と質問されても……。

うーん、どこにも行ってはないです。

自分の部屋で書いてます。

 

時折り、ファミレスにノーパソ持って行って

仕事することはありますが

もしも「仕事でファミレスに行ってます」と答えたら、

ファミレスでバイトしてると思われますよね……。

 

……小説家を夢見て、目指していた頃は

この職業、隠したくなるものだとは思いませんでした。

 

皆さんのまわりに、自分はなんの仕事をしているのか

言葉を濁している方がいらっしゃったら、

その方、実は小説家かもしれませんよ。

「天気の子」で素晴らしいと思ったこと。

「アラジン」に続き、

新海誠監督の「天気の子」も観てきました。

 

個人的に、「君の名は。」の時は、

ストーリー自体よりも映像の美しさの方が

印象に残ったのですけど、

「天気の子」は、映像の美しさがあってこその

ストーリーではないか、と思いました。

 

あと、日常生活の描写が非常に丁寧で、リアルで

思わず、1シーン1シーンをじっくり観たくなります。

その一方で、少年少女が空を飛ぶ、というファンタジー的な展開に

違和感なく繋がっている、というのが凄いんじゃないかなと。

 

たとえばジブリの映画にも

よく主人公たちが空を飛ぶ場面が出てきますけど。

 

最初からファンタジー的な世界で、

キャラクターが空を飛ぶのと、

私たちの現実と地続きのものとして描かれている世界で、

キャラクターが空を飛ぶ、というのは、

その展開につなげるためのハードルの高さが

違うんじゃないかな、とも思いました。

 

 

ところで、前半、クライマックスに向けて

「うまく不安をあおるなー」とも思いましたが。

それは伏線のためもあるけれど、

少なからず、BGMの音楽の力も借りているはず。

 

音楽って人の心をコントロールしてしまいますよね。

 

たとえば、臨時ニュースを知らせる音とか

気象警報が出た時の携帯の着信音とか、

聞くだけで急に不安になったりします。

注意喚起のためでしょうけど、

聞く人の不安をあおるような和音で

構成されているためではないかと思います。

 

一方で、ヒーリング音楽のように、

心を落ち着かせることもできるのが音楽の力です。

 

 

……このように、映画は映像や音楽の表現によって、

さらに物語を素晴らしくさせることができるのに

小説は文章しか使えなくて不利だなーと

改めて思いました(°д°)

 

でも、もちろん素晴らしい小説も沢山ありますから

そんなことをイイワケにせず、今後とも精進したいと思います。。。

ディズニーの実写版「アラジン」を観てきました。

知人に強くおすすめされたことがきっかけで、

ディズニーの実写版アラジン観てきました。

 

演出がもう「ハチャメチャじゃん!」と

笑ってしまった場面もありましたけど。

クライマックスは涙が止まりませんでした。

 

 

リメンバー・ミー」の時も同じようなことを書きましたが、

ハッピーエンドっていうことは最初から分かっているのに、

それでも紆余曲折の末に感動させる、ということが凄いなぁと。

 

冒頭に出てくる子どもたちの両親が誰かということも

分かった瞬間、ハッとさせられてしまいました。

そこまで頭が回っていなかったから、分からなかった。。。

 

 

でも「なんで涙が出るのか、よく分からないけど、とにかく泣けた」

……という場面も多かった気がします。

 

こういう感動の仕方って、最強じゃないかと思います、私。

 

「大切な人との別れ」とか「大切な人の死」とか

そういうシーンって、涙は出るんだけど、

生きている限り、同じような体験はみんなするのだから

感情移入しやすいし、ある意味では泣けて当然かもしれません。

 

だから、「大切な人の死」がテーマである、

いかにも涙を誘うような映画は、自分はあまり観ないです。

観ると絶対泣けるし、なんか悔しいですから(なんの反抗だ)

 

とは言え、自分も小説を書く側の立場としては

「泣ける小説」を出版社側から求められたら

いかにも泣けるようなお話を考えなければならない……という

ジレンマにちょっと悩む、この頃だったりします。

 

 

……話が「アラジン」からすっかり逸れてしまいました。

 

ところで、物語はもちろんハッピーエンドなのですけど、

お姫様が、念願かなって次の国王になる場合、

アラジンがそのお姫様と結婚したら。

アラジンが王様になるわけじゃありませんよね。

女性だったら「王妃」になりますけど、

男性の場合なんと呼ぶのでしょう?

 

野暮だとは思うものの、

そのことが感動のクライマックスの最中に、

頭の片隅でどうしても気になってしまいました。

 

で、検索してみたところによると、女王の配偶者には

「王配」という呼び方があるのですね。

今後のアラジンも、そう呼ばれるのかもしれません。

「お~いお茶新俳句大賞」に応募して思ったこと。

「お~いお茶」のペットボトル等に掲載される

新俳句大賞に、今年久しぶりに応募しました。

 

俳句とか川柳とか、キャッチコピー等は

アイディアさえ思いつけば、

隙間時間にでも、気軽に応募できるので。

たまに公募ガイドを見て、出してみるのですけど、

ほとんど入賞したことはありません。

 

短い作品は手軽に書くことはできるけど、

逆に言えば、字数が少ないからこそ、

ぎゅっとエッセンスを詰め込まないといけないのだと思います。

で、自分のセンスのなさを痛感することとなります^^;

 

多分、努力すればちょっとはセンスも磨かれるものでしょうが

そこまでの時間や労力を確保できない……という。

中途半端な気持ちでは、なかなか駄目なのでしょうね。

何事もそうだとは思いますが。

 

 

で、この前、入選作品発表のお知らせのハガキが届きました。

うん、もちろん落選しましたとも( ̄∀ ̄)

 

なお、お~いお茶のペットボトル等に掲載されるのは

大きな賞を獲得した句だけだと思いますが、

商品に載らなくても、入賞作品は2000句も選ばれるとか。

お~いお茶新俳句大賞のホームページから読めます。

 

itoen-shinhaiku.jp

ハガキを見た時は、2000句も選ばれるのに、

自分はやっぱり落選したのか~と思いましたけど、

(昔、1回だけ、1番下の賞に入ったことがあります)

ひさびさに応募した私は、競争率の高さをすっかり忘れていました。

今回の応募総数を見れば、199万5,869句だとか。

昔から応募総数多かったですけど、

さらに増加しているようです。

 

応募されたのが200万句弱だとすれば、

入賞の2000句に入る確率、単純に計算して0,1%じゃないですか。

こりゃ落ちても仕方ないよ!^^; ←言い訳

 

それにしても、すべての応募作品を審査するのも大変でしょうね。

(すべての応募者にお知らせを郵送するのもね)

 

でも、お~いお茶のペットボトルに

自分の詠んだ句が掲載されたとしたら、

どんなに嬉しいでしょう。

みんな思うことは同じだからこそ、

この応募総数なのでしょうけど……。

 

ただ、お~いお茶の新俳句というのは

季語などの型にはまらなくて良いようで、

正式な俳句を詠むよりはハードルが低いはずです。

日常の中での素朴な発見、素敵な着眼点を

運よく(?)見つけられたら

誰でも入賞のチャンスがあるのではないかと、

つい思ってしまいます。。。

 

だから、またいつか

懲りずに応募してしまうかもしれません。

(また、この賞の厳しさを忘れた頃にね)