星空と、色えんぴつ

日々の小さな発見や、ちょっと面白いこと、楽しいこと。

数字に色がつく、味にカタチがある……「共感覚」のふしぎ。(その3)

しつこく「共感覚」のお話です。

 

今回、手に取った

「カエルの声はなぜ青いのか?」という本には、

目からウロコが落ちるようなお話がたくさんありました。

 

読んでいる途中、少なからず感じたのは、

こうした「共感覚」を自分でも体験してみたい気持ちでした。

 

共感覚者であることで(そのタイプにもよるようですが)、

芸術家になった方も多くいるらしいし。

私自身もまっさきに感じたのは、共感覚が、

何かしら創作のヒントにならないか?という期待でした。

だから、興味深くこの本を読んだのです。

 

が、共感覚がなくても、そもそも、私たちの感覚には

まだ、意識したこともなかった見方があるのに気づきました。

 

 

この本によると、

そもそも、現在の科学では。

人間に備わっている感覚は、

視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の「五感」だけではないと

言われているそうです。

いくつ数があるとするかは、考え方によるようですが。

 

同じく皮膚で受け取る感覚であったとしても、

触感と、「痛覚」「温度感覚」を、

別の特性を持つものとして数える、という考え方もあるし、

今まで知らなかった感覚の定義もありました。

 

そのひとつが、「固有受容感覚」……目をつぶっても、

自分の手足がどこにあるか分かる感覚です。

この感覚がなくなってしまった方は、

意識していなければ、かばんを持ち続けることもできないし、

たえず、自分の手足をじっと見ていないと

それがどこにあるのか分からなくなってしまうそうです。

(この固有受容感覚に対する共感覚を持つ方もいるそうです)

 

この感覚は、触覚ともまた違うものだというところで、

私は、面白いな、と思ってしまって。

 

なにが面白いかって、

どんなに未熟であれ、創作活動をしたい人間としては、

共感覚のように、「みんなと違う」ものに

魅力をおぼえてしまったりするけど、

「みんな持っている」のに、特に意識したことのない感覚が、

自分の内部にも、まだまだあるんだ、ということ。

 

決して特別な人間ではなくても、

自分が世界をどう見ているか、どう感じているかということは、

実は個人個人で違う、オリジナルなものかもしれません。

そのユニークさに、より気がつくほど、

たとえ平凡な1日であっても、この不思議な世界で、

もっと豊かに過ごせるのではないかと感じました。

数字に色がつく、味にカタチがある……「共感覚」のふしぎ。(その2)

共感覚の中でも、「音に色がつく」という事例から、

真っ先に思い出したのは、

絶対音感」(最相葉月/著 小学館/刊)という本を読んだとき、

「ドレミ……」のそれぞれの音や、音階によって、

色が見える人がいる、というお話でした。

 

この本は、今も手元にあるので、

ちょっとだけ読み返してみますね。

 

絶対音感を持ち、色を感じる人たちに対して

調査がおこなわれたことがあったようです。

ドではじまる基本的な音階「ハ長調」を

白と感じる被験者が多い、など、

音によって異なる色彩感覚を持つ方たちがいることが

確かに書いてありました。

これは「共感覚と呼べる」という記述もあります。

 

ファではじまる「ヘ長調」には

緑を感じる人が多かったそうですが、

実際、ベートーベンの「田園」などもヘ長調の曲だとか。

……子どもの頃ピアノを習っていたくせに、あんまり音感のない自分は、

転調すれば音の高低が変わるだけに思っていたんですが……

何調の曲か、ということは、

単にキーの高さだけの問題ではないのですね。

ベートーベンにも、ヘ長調は緑色に見えていたのでしょうか?

 

 

もちろん、色が見えるなんて錯覚ではないかという

意見を言う人たちも存在します。

 

が、ここで「カエルの声はなぜ青いのか」の本に戻りますと。

音楽ではないですが、言葉で「色が見える」共感覚

持っている人の脳を調べてみたところ、

実験中、被験者は目隠しをされていたのにも関わらず、

「V4」と呼ばれる、色彩情報処理専門の視覚野の部位が

活性化していた、という実験結果が書いてありました。

要するに、科学的には「色が見えていた」と言っていいそうです。

 

共感覚を持っていない人が、

言葉と色の関係を丸暗記しても、

同じような結果は出せなかったとのことですから……。

 

多くの人にとっては想像できない感覚であっても、

勝手に「気のせい」「錯覚」だと

決めつけることは、できないのですよね……。

 

うーん、まだ書ききれないので、

共感覚」のお話、もう1回だけ続きます。

数字に色がつく、味にカタチがある……「共感覚」のふしぎ。(その1)

「カエルの声はなぜ青いのか? 共感覚が教えてくれること」

……という本を読みました。

(ジェイミー・ウォード/著 長尾力/訳 青土社/刊)

声が「青い」だなんて、まるでポエムのようですが、

これは詩的な本ではなくて、科学的な本です。

 

冒頭に、カエルの鳴き声が青いと主張する

小さな男の子が登場します。

そこでは、「色聴」という、耳慣れない言葉が登場します。

 

音や、文字、数字などに固有の「色」がついて見えたり……

味に対して、丸いとか尖っているといった「形」を感じたり。

あるいは、言葉によって違う「味」を、本当に口の中で感じたり。

 

そうした、通常考えられる感覚とは別の、

もうひとつの「感覚」を持つ人たちがいるそうです。

その感覚を、「共感覚」といいます。

 

共感覚研究の第一人者である著者は、

共感覚は「異常」ではなくて、

「もうひとつの現実」だといいます。

共感覚を持っていることの利点もあり、

持っている人も、それを「なくしたい」と思わない人が多いとか。

 

しかも、仮に150人の知り合いがいるとすると、

そのうちの6~7人に、

五感のうちの1つを含む共感覚者がいる……

という記述もあったので、

きわめて珍しいというわけではないのかも。

 

人によっては、自分の身体の周りに、

曜日がずらりと並んで見えるとか、

とてもユニークなことが書いてあって、

「本当?」と、にわかには信じ難い感じもありますが、

すごくイマジネーションを揺さぶられてしまいます。

 

実際、芸術家になった共感覚者や、

自身は共感覚を持っていないけど、

それを熱望する芸術家も多く存在した、とありましたが、

深く頷けてしまうくらい、魅力をおぼえました。

 

また、この本を読み終えて、

ある意味で、自分の「世界に対する見方」を

もっと見直さなくちゃな、と思ったぐらいに

響くものがありました。

 

というわけで、次回も「共感覚」のお話を

続けさせていただきますっ。

「サバイバルファミリー」を観てきました。

この映画では、

山口県でロケをおこなったシーンがあると知り、

地元民としては、観てみたくなりました。

地元がメディアに取り上げられると、

ちょっと嬉しい田舎住民のサガです(笑)

 

確かに……見たような景色が映ってましたが、

そんなことは置いておいても、観て良かった映画です。

 

突然襲ってきた大規模停電。

ガスも水道も、なぜか乾電池までもが使えない。

情報もないまま、水も食料も尽きていく東京。

そんな世界で、

生死をかけたサバイバルをおこなうことになった

とある家族のお話です。

 

 

映画の中でも、

思わず目を背けたくなるようなシーンがありましたが、

もしも、現実に同じことが起きたら、

それよりも、もっと残酷な事態が相次ぐでしょう。

 

映画だから、本当に残酷なことはオブラートに包み、

ユーモアまでもトッピングしてくれる。

 

でも、映画だから、現実に1人の死者を出すこともなく

私たちはあらためて学べるはずです。

日頃、便利で安全な生活を当たり前のように感じていても、

生きることは、もともと、これほど過酷なんだって。

 

文明に守られていない人間は、本当に脆い存在。

でも、同時に、強くしたたかで、

たくましい存在でもある、と思いました。

 

 

「サバイバルファミリー」の、その後の世界は、

どんな風に変わっていくのでしょうね?

私たちの生きている社会とのパラレルワールドとして、

想像してみると、興味がつきないところです。

 

こんなに考えさせられる映画をつくってくれてありがとう!と、

思わず、エンドロールに向かって拍手を送りたくなりました。

……電気が点くって、ありがたいですね。

妹の手作りぬいぐるみに、びっくりしました。

先週○○回目の誕生日を迎えました。

すっかりおばちゃんになってしまった……。

 

誕生日には、東京にいる妹と、

毎年プレゼントの交換をしています。

今年送ってもらったのは、

こんなウサギさんのぬいぐるみです。

なんと手作りらしいです。

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妹は手芸関係得意なんですよね……。

お裁縫はさっぱりの私には、

びっくりのクオリティです。

細部まで凝っていて、

どうやって作ってるのか分かりません。

 

画像では座ってますが、

足が動くので立ちポーズもできますし。

あと、右手にマグネットが入っていて、

クリップがくっつくので、

何かメモなどを持ってもらってもいいかも。

 

わざわざ作ってもらったと思うと、

やはり嬉しいですね。

唯一難点があるとすれば、

私の女子力皆無な部屋には

少々似合わないことくらいでしょうか(笑)

 

 

ちなみに私は、前の妹の誕生日には

おしゃれな腹巻きをあげました。

今年の冬の寒さに役立ったそうです……。

 

あと、いつもプレゼントと一緒に

ポテトチップス九州しょうゆ味を

段ボールに詰めるだけ詰めて送るのが恒例……。

妹の好物ですが、当然ながら、

東京ではめったに売っていないようなので。

関東出身の妹の旦那さんも、妹の影響で

九州しょうゆ味が好きになったらしいし(笑)

 

 

おまけ。

このピアスは昨日、誕生日プレゼントにいただいたものです~。

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品物を選んだのは自分なのですが。

天文好きの端くれとして、

この土星っぽいデザインはちょっと嬉しいです♪

宇宙の終わりは悲しくないかもしれない。

NHKの「モーガン・フリーマン 時空を超えて」という番組を

時々観ています。

最先端の科学の研究で、難しいことはよく分かりませんが

頭の良い方って、とんでもないこと考えるんだなーって

思いながら……(笑)

 

先週は「時間」がテーマでした。

時間はいつ生まれたか、

宇宙が生まれた時には時間は存在してなかった とか、

そもそも時間なんて存在しないんじゃないか とか、

科学者の中にも色々な説を唱えている方がいらっしゃるらしいです。

 

なんとなく、ビッグバンの時に

時間もはじまったようなイメージを持っていましたが、

そもそも、宇宙が誕生する前にも、

時間は存在していたのでは?

……という説も。

 

それは、ビッグバンの前にも別の宇宙があったから。

 

以前、別の番組を観た時に、

「宇宙の終わり方は悲しいらしいですが……」って記事を書きましたけど、

(だって、宇宙はやがて膨張しきって、

真っ暗になるかバラバラになるかって言うんだもの)

宇宙のはじまりと終わりについて、

また違う説を唱えている方もおられるのですね。

死んでしまった宇宙から、新しい宇宙が生まれるという。

 

なぜ死んでしまった宇宙……無から有が生まれるのか?

 

小さな小さなミクロの世界、

量子力学の世界では、

物質が「ある」「ない」ではなくて、

確率的に存在しているから、

まったく「何も存在していない」という状態もない。

死んでしまった宇宙であっても、

そこから、宇宙が生まれる可能性がある……

……って感じのお話だったと思いますが。

 

そんな小さな小さな物質から、ビッグバンが起きて、

新しく広大な宇宙が生まれる場合があるってこと……?

 

話を聞いても、すごすぎてクラクラしてしまいますが、

でも、私たちの宇宙が膨張しきって、

永遠の暗闇の世界になってしまったとしても、

そこから、また新しく宇宙が生まれる可能性があるのなら、

宇宙の終わりは、必ずしも、悲しくないのかもしれません。

 

うん。難しいことは分からないけど、

そうだったらいいなって、切に思いました。

「要約筆記」の思い出。(その2)

前回の記事の続きです。

 

 

要約筆記というボランティアは、

手話に比べて知名度が低く、

(特に自分が活動をはじめた十数年前は)

自分が知ったのはまったくの偶然です。

 

よく内容も分かってないまま

奉仕員になるための講座を受講したような……。

結局は文章の勉強をしたい、という動機だったと思います。

最初は「速記」的なものと勘違いしていたかも。

 

ボランティアとしては、

そんな当初の目的は、ズレたものでしたが、

実際、文章の勉強をするには、

すごく良い活動だったかもしれません……。

嫌でも日本語の勉強になります。

とにかく、どんどん文章を書かないと話の筋に追いつかないし、

意味の通じない文章や間違った漢字を書いたら

利用者の方にも申し訳ないことになってしまいますし。

 

熱心なボランティア精神をお持ちの方でも、

ある程度「書ける」人となると限られるので、

私くらいの実力でも、

ずいぶん色んな現場に叩きこまれたなあ……。

要約筆記活動には守秘義務があるので、

具体的にどんなところに行ったかは書いてはいけないのですが、

貴重な体験をさせていただきました。

 

 

要約筆記は、手書きでおこなう「手書き要約筆記」

パソコンで文字を打つ「パソコン要約筆記」に大きく分けられ、

自分は「手書き要約筆記」を長くやってきました。

(昔はOHPを利用して

複数人で協力して文章を書いたりしていました)

 

が、時代とともにパソコン要約筆記の方が主流になり、

要約筆記にまつわる制度も変わっていったため、

だんだん離れることになりました。

パソコン苦手だし。

当時所属していたサークルもなくなっちゃったし。

 

 

昨年、戸田奈津子さんの講演会に行った時、

会場に、パソコン要約筆記もついていて、

スクリーンに映し出される文章を読んでも分かりやすかったし、

時代の流れを感じました。

 

当時は大変だったけど、

(途中で辞めたいと思っても抜けられなかったし)

今でも、たまに活動していた福祉会館などに立ち寄る機会があると、

サークルの皆さんや、出会った聴覚障がい者の方々が、

すごく懐かしくなったりするので、

やっぱりあの頃、要約筆記をやっていて、良かったのかなと思います。

「要約筆記」の思い出。(その1)

以前の記事で、ちょっとだけ触れた

「要約筆記」というボランティアの思い出を書こうと思います。

 

 

聴覚障がい者のためのボランティアと言うと、

「手話」が真っ先に浮かぶ、という方が多いかもしれません。

 

が、聴覚障がい者と一口に言っても。

生まれてから、日本語を習得する前に聴覚を失った方は、

ろうあ者として手話を第一言語とされることが多いですが、

大人になってから聴覚障がいを持った方(中途失聴者)は、

手話を習得することが難しい場合も少なくありません。

 

実際、聴覚障がい者全体で、手話を使える方は

15パーセントくらいだと聞いたことがあります。

 

手話だって生きた言葉ですから、

方言もあるし、時代によっても変わっていきます。

そういえば、ろうあ者の方の手話は、文法も違ったような覚えが……。

(言葉の並びは英語っぽかったような?)

 

逆に、テレビでの標準的な手話通訳が

読めないろうあ者の方もいらっしゃる、という話も。

 

やはり、なかなか難しいのですよね……。

 

 

一方、「要約筆記」は、話し言葉を短くまとめて、

文字を書いたり、パソコンで打ったりして、読んでもらうことで

聴覚障がい者の方の情報保障をおこなう、という活動です。

 

講演会などで、スクリーンで文字を映し出したり、

病院などに同行して、書くことで通訳したりと、

利用の場面もさまざま。

 

手話が分からなくても、日本語で伝えられるから

分かりやすい、というのが利点な筈なのですが……。

 

実際、とても難しい技術でした。

どう考えても、話し言葉のスピードに比べて

書ける文字は限られますからね……。

(ためしに、テレビでニュースとか聞きながら

内容を書き取ってみたら分かるはずです)

うまくかいつまんで要約しないと、

ずっと断片的な文章が続くばかりで、

全体の意味があまり通じないという

悲惨な結果になってしまいます。

 

この要約筆記を昔、なぜか10年ぐらい続けていました。

 

と、……思い出を書く以前に、

説明だけで長くなってしまったので、

あとは(その2)に続きます。

バルーンアートで、テディベア。

さて、昨年12月に、某所のクリスマス会で使った

バルーンアート用の風船が、まだ残っていたので

また何かつくってみようと思います。

 

いつまでも取っておくと、

だんだんゴムが劣化してしまって、

割れやすくなっちゃいますからね。

 

 

そういえばクリスマス会の時、

司会をされていた児童民生委員の方に、

小学校で、子どもたちの集まりがある時に

バルーンアートをお願いできないかと

声をかけていただいたのですが、

ショッピングセンターの仕事で、頻繁につくっていたのは、

もう10年以上前のことなので、

どれくらい覚えているかなあ……。

まだ、本当に行くかどうかは分かりませんけど。

 

腕試しに、ちょっと難しめの「テディベア」に挑戦してみました。 

途中で失敗もしつつ、なんとか完成です。

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一本の風船でつくっているのに、

どうして手が左右に分かれているかと言うと、

バルーンのねじった玉のひとつひとつを「バブル」と呼びますが、

「ピンチツイスト」というねじり方をすると、

隣のバブルをハサミで切っても空気が抜けないのです。

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失敗して風船が割れてしまうことは、どうしてもありますけど、

やはり故意に風船を割ろうとすると、ちょっと怖いですね。

 

 

たまに、小さい子にバルーンで何かつくってあげる機会があると、

「動物、なにが好き? なにをつくろっか?」と聞いてあげるんですが、

イヌとかウサギとか、比較的簡単なリクエストをもらうと、

やっぱり内心ではホッとします(笑)

 

もし、クマさんをつくって、と言われたら……?

うーん、腕前が落ちた今の自分では、やっぱり失敗が怖いな^^;

(割ったら泣かれちゃう時もありますからね。。。)

「コアラのマーチ」の保存食。

先日、棚の片隅で、

いつから置いてあるのか覚えていない

カンパンを発見してしまいました……。

うぎゃーっ。

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裏返して、缶の底を見てみると、

賞味期限が今年の7月になっております。

セ、セーフ??

でも、いくら保存がきくと言っても、

存在を忘れていたら意味がないよ!

 

 

自分の住んでいる山口県

とても地震が少ない地域だと思います。

30年以上暮らしていますが、私の経験した地震

震度4まで揺れたことが2回……かな?(記憶にある中では)

あとは、すべて震度3以下だし、滅多に起きません。

大変恵まれていることだと思いますが、

反面、防災意識が高まりにくいかも……。

 

 

非常用の持ち出しリュックは一応用意しているのですが、

問題は中身です。

カンパンを発見したことで、

入れている保存食が気になって出してみました。

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コアラのマーチ ビスケット 保存缶」です。

たまたま以前コンビニで見かけて購入していました。

ふつうのコアラのマーチと違って、チョコレートは入ってませんが

缶に災害用伝言ダイアルについての情報が書いてあるのが親切です。

 

でも、これも消費期限の問題で、

この際だから食べてしまうことにしました。

どこか懐かしくてほっとする味でした。

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最近では、非常用の保存食も、

普段から食べておき、補充を繰り返しておくことが

推奨されているようですね。

賞味期限が長期でも、何年も放置していたら切れてしまうし、

災害時、食べ慣れないものをいきなり食べるより、

普段から食べているものを食べられた方が、

少しでも、精神的に落ち着けるとのこと。

 

とりあえず、また何か、保存食を用意しておこうと思いました。

……忘れずに。

66,666語、世界最大のクロスワード!

私は、わりとパズル好きです。

我が家は毎日新聞を購読しているのですが、

日曜日に掲載されるクロスワードを解くのが習慣です。

なかなか全マスは埋まらないもの、

じわじわと解けていく感じにハマってしまいます。

難易度が絶妙なんですよね。

パズル作家の西尾徹也さん、本当にスゴいといつも思います。

 

 

ところで先日、本屋さんでウロウロしていたら、

「ニコリ・タイムズ2016」というペーパーを発見。

パズルの会社ニコリが発行している新聞的なもののようです。

 

中面には、おなじみの数独や推理パズルも載っていたので、

遊びたくなって、いただいて帰りました。

 

……で、この新聞のトップに載っていたのが

「世界最大のクロスワード」。

なんと、使われているワードが全部で66,666語というから、

半端ではありません。

ちなみに商品名は「メガクロス――世界最大のクロスワード」と、

いうようです。

 

巻物版と書籍版が発売されているようで、

巻物版は全長約13メートルとか……。

(お値段も25万円と半端ないです)

しかも、タテのカギ、ヨコのカギと、

それぞれにヒントの本が1冊ずつあるらしいです。

もはや、ちょっとした辞書みたいな感じですかね……。

 

そんな作品を本当につくっちゃった二コリさん、

なんて楽しい会社なんだ!

 

ただ……。

書籍版は3万5千円と、まだしも手は届きやすいですし、

パズル好きの端くれとして欲しいようにも思うんですが……

全マスどころじゃなく、

とても埋められるような気がしませんっ!

(知識的にもだけど、時間的に)

 

自分がもう老後で、時間を持て余しているとかなら欲しいですけどっ。

 

でも逆に言えば、コツコツ解いて一生楽しめそうな気もするし、

それなら、必ずしも「高い」とは言えないかもしれませんが……。

 

まあ、しばらく冷静に考えてみようかと思います^^;

ガラケー愛用しています。

今回は携帯電話の話です。

私は、世の中の流れにほぼ乗らない人間なので、

未だにガラケーを愛用してます……。

 

なぜスマホにしないかというと、

基本的に機械音痴なので、操作を新しく覚えたり

色々設定をしたりするのが負担だとか、

(パソコンも本当は苦手なんですが、

物書きなので、Wordだけはどうしても必要だし、

しぶしぶ使ってます……)

収入が不安定なので、

料金が高いものは避けたいっていうのもありますけど、

(格安スマホというのもあるようですが)

一番の理由は、今のガラケーが気に入ってるので

変えてしまうのが寂しい気持ちがあって。

 

けっこう何年も使っているので、

良い思い出も(良くない思い出も)

きっしり詰まってますし。

 

まぁ、ガラケーを使う人に対して

「物を大切にしてる」という

肯定的な見方をしてくれる人もいるそうだし。

いいじゃない、って思ってますけど。

 

電車の中でメールをする時は、

なんとなくガラケーを出すのが恥ずかしいので

自分も矛盾してる気もするんですが(笑)

ほかにもガラケー使ってる人を見ると、

妙に仲間意識が芽生えます!

 

だけど。

以前、小説を出版させていただいた時、

校閲さんから「携帯電話の描写が古い」という

もっともな指摘をいただいたことがあるので(汗)

やっぱり、スマホに変えるべきかなあと時々思います。

 

それか、いっそ、

なるべく携帯電話の出てこないような小説を書くか!

(いいのかな、それで。。。)

 

まあ、今のガラケーが壊れたら、

その時は仕方ないので、あらためて考えてみようかな……。