星空と、色えんぴつ

日々の小さな発見や、ちょっと面白いこと、楽しいこと。

ムツゴロウって食べられるんですね……

以前、日本各地の雑学をテーマとしたゲームアプリで遊んでました。

私は地理とか、歴史などが大の苦手なので、

ちょっとくらい何か覚えられたらと……。

 

で、合格点までクイズに答えると、ゲーム内のキャラクターが

各地の名物料理を食べられるというルールがあったのですが、

佐賀県の名物料理が「ムツゴロウ」になってて

「?」となってしまいました。

 

名物の生き物、というのなら分かるけど……。

私が無知なのかもしれませんが、

ムツゴロウって食べられるの~?

 

 

先日、個人的な用件で、その佐賀に行ってきました。

 

帰り際におみやげを扱っているお店に行ったら

ムツゴロウの甘露煮がありました。

佐賀の知人から「ハゼだから食べられますよ」と言われて

そうか、と納得しましたが……。

 

でも、もっとビジュアル的に食べ物に見えない生き物がっ!

見た目で「エイリアン」と呼ばれているらしい

ワラスボという生き物の干物もありました……。

顔……顔がなんか怖かったけど……

ムツゴロウと同じく有明海に生息しているようですね。

 

さらに「むつごろうラーメン」や

「エイリアンラーメン」という商品も陳列されていて

ネタとしてはもってこいですが、私は手に取る勇気が出ませんでした。

佐賀、チャレンジャーだな……。

 

でも、個性的なお土産として、インパクトはありますよね。

私も、誰かからもらったら、珍しいから喜んだと思います。

 

自分が選んだのは「花ぼうろ」というお菓子です。

丸ぼうろの本場が佐賀ということも今回知りましたぁ。

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ブッセみたいな感じで、あんずジャムが入ってて甘いですよ~と

教えてもらって、実際美味しかったんですけど……

 

なんか……肝心の画像が、普通のお菓子ですみません^^;

映画字幕翻訳者 戸田奈津子さんの講演会に行ってきました。

みなさんは映画館で洋画を観る時、

字幕版と吹き替え版、どちらを選びますか?

私は基本的に字幕版で鑑賞します。

たまに、気に入った映画を、字幕版・吹き替え版両方で観てみると、

翻訳が違って面白かったりします。

目で読む字幕と、耳から入る吹き替えの違いからでしょうか。

                                                       

前置きが長くなってしまいましたが、

山口県セミナーパークで、

先日、「字幕の中に人生」という演題で開かれた、

戸田奈津子さんの講演会に行ってきました。

字幕翻訳者として、よくお名前をお見かけすると思っていたら、

1500本以上の映画を担当されてきたというのだから、凄いです。

受講の申し込みが多くて、当日は会場にお客さんが入りきらず

別室からモニターで講演を聴いていた方々もいらしたとか。

会場でお話を拝聴出来てラッキーです。

 

時代による映画の変化や翻訳の大変さ、

有名な監督さんや役者さんとのエピソード、

映画字幕翻訳者の夢が叶うまで20年(!)もかかったこと、

(このお仕事でご飯を食べている方は、今も昔も10人足らずだそうです。

ただ、昔は男性ばかりが担当していて、なかなかお仕事を得られなかったとか)

……などなど、興味深いお話が色々ありましたが、

個人的に一番気になったお話は、字幕とは少し違うところでした。

 

最近では、

漢字が読めない、字幕のスピードについていけない若い人たちが、

映画を観るとき、みんな吹き替え版を選んでいるのだとか。

戸田さんは「映画を観る人が減るのは時代の流れだから仕方ない、

でも、日本人が日本語を読めなくなるのは許せない」と

憤っていらっしゃいました。

 

たとえば、字幕に『安堵する』という言葉を用いると、

映画会社から、「難しい漢字は、観る人が読めないから、

『安心する』にしてほしい」と注文をつけられたそうです。

 

でも、『安堵する』と『安心する』では、気持ちが違う。

若い人たちに合わせて『安堵する』という言葉を消してしまうと

日本語が死んでいく……という戸田さんの主張には、

かなり共感してしまいました。

 

豊かな語彙があってこそ、

私たちは、自分の心の動きや感情をより濃やかに伝えたり、

他人の気持ちを深く想像したりできるのですよね。

 

言葉の数が減っていってしまうことにより、

表現の幅をせばめられるのは、非常に残念なことだと思います。

私は未熟な物書きですが、自分なりに、

やはり言葉へのこだわりも大切にしたいし、

もっと多くの語彙を使いこなせるようになりたいと

あらためて思いました。

「夢」と「隠された自分」について。

他人の夢の話って、話す本人ほど周りは面白いと思わない……と

よく言われますが、逆に言えば、どうして、

本人にとっては、それが興味深く、面白く感じるのでしょうね。

もしかしたら、やはりそこには、夢を見た本人にとっての

無意識の謎を解くカギが含まれているからかもしれません。

 

個人的にユング心理学が気になっていて、

河合隼雄先生の本を繰り返し読んでいるのですが、

その奥行きの深さには、ぞくぞくするような感覚をおぼえます。

たとえ一見、荒唐無稽であっても、

「ただの夢」と、一笑するようなものじゃないと思います。

 

たとえば夢の中で、知人のAさんに会って、

ああ、これは昨日Aさんと連絡したから

そのまま夢に出たんだな、と納得するようなことがありますが、

ほかにも色んな人と会ったり関わったりしている中で、

どうしてわざわざAさんが選ばれて、夢に出てきたのか

ということに注目すべきなのかもしれません。

 

私たちは心の中に、いろいろな気持ちを抑圧していますが

実は、抑圧しているものが「悪い感情」とは限らないようです。

たとえば、自分を基本的に「嫌なヤツ」だと思っている人は、

自分の心に優しさや温かい感情があっても、

気づかなかったり、素直に認めたくなかったりしてしまいそうです。

 

もちろん、自分は「○○な人間だ」という

アイデンティティを持つことはとても大切なのですが、

その陰では、抑圧された気持ちが表に出たがっているし、

背後にいる本当の自分(自己)は、アイデンティティによる偏りを

修正したがっている、とユング心理学では言われているようです。

 

夢の中に出てきたAさんは、現実のAさんではなく、

自分の心に抑圧された、Aさんに似ている部分、

Aさんのキャラクターから連想される部分が

自我の方へと出てきたくて、登場しているのかもしれません。

 

しかし、それをそのまま自我が受け入れるのは困難なことで、

うまく行かなければ、自分が壊れてしまうかもしれません。

抑圧だって、その人なりの理由があって行われているのだから。

 

 ……ですが、「隠されている自分」が悪い自分とは限らない、

ということだけは、覚えておきたいなと思ったりしています。

長門峡に、もみじ狩りに行ってきました。(その2)

長門峡のもみじは、今日、11月20日が見頃だとテレビで言ってました。

そろそろ葉が散っていってしまうようですね。

余談だけれど、昨日は用事で山口市に行っていたのですが、なぜか山口駅

前回の記事で画像に撮った、長門峡駅の木彫りのクマさんと

同じものが飾ってあって、ちょっとびっくり。

一瞬、マボロシを見てるのかと思った……(笑)

 

本題に戻り、前回の記事の続きです。

長門峡は美しいところですが、奥に進んでいくにつれ、

まさに山の中という感じで、歩けるかに自信がなくなりました。

「遊歩道」という語感から、のんびり歩ける道を想像してましたが

景観が抜群ということは、それだけ自然が残されてるってことだものねえ。

 

「引き返すのも勇気」という言葉が頭にちらついてきましたが、

その時、設置されていた小さな看板で、

目標にしていた鈴ヶ茶屋まで、

歩いてあと数分だと知ることができました。

 

もう一息!

 

遠くに屋根らしきものが見えてきた時は嬉しかったです。

やった、人工物がある!……みたいな。

 

お店には鮎料理など、色々なメニューがありましたが

お腹は空いていなかったので、ホットコーヒーを注文して

休憩しながら、景色を見て和みました。

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このコースにリベンジする時は、

もっと早い時間にきて、ここでお昼ご飯を食べたらいいなあ。

 

床に散っているもみじを発見。

お土産として、いただいて帰っちゃいましょう。

……と、ポエミィ(?)な気分でお財布に入れます。

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 コーヒーを飲み終えてから、今回は予定通りここで引き返すことにしました。

道に慣れてきたせいか、帰り道は行きより短く感じられました。

 

ちょっと足は痛くなったものの、

歩き終えた感想としては、かなり満足感がありましたよ。

 

帰る前、長門峡の入り口に道の駅があるので、

ちょこっとおやつを購入しました。

そして会計の時に、さっきお財布にいれたもみじが邪魔になり、

イライラして現実に引き戻されたりしながら、

長門峡の散策(というか探検っぽかったですが)は終わりました……。

 

そんなしょうもないオチですが、気分的にはリフレッシュできたので

ぜひ、また来年も歩いてみたいと思います。

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長門峡に、もみじ狩りに行ってきました。(その1)

山口市阿東の長門峡にもみじ狩りに行ってみました。

県立自然公園でもあり、国から名勝にも指定されていて、

もみじの名所としても有名な、渓谷の美しい場所です。

 

実は去年も行くには行ったのですが、

スケジュールが合わず、肝心のもみじはあまり見た記憶がありません。

おまけに着いた時間も遅かったので、

たいして奥までは散策できなかったという……。

 

今年は、駅の前ですでに真っ赤なもみじが迎えてくれて、

テンションが上がりました!

そして駅の木彫りのクマさん、かわいいよ!!

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 長門峡は、渓谷に沿った遊歩道が延々と続いていて、

歩きとおすと片道で約2時間かかるそうです。

(コースの両端を、シャトルバスが運行しているようでしたが)

そこまで歩けるかは体力的にも、時間的にも不安があったので、

今回は遊歩道の中間にある

「鈴ヶ茶屋」というお店を目指してみることに見ました。

 

遊歩道の入り口の看板には

落石注意とか、柵にもたれかからないようにとか

事故に遭わないために気をつけることが色々書かれていて

ちょっと身が引き締まります。

 

あと、県道の標識が……この道、県道293号なのか……。

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景色は変化に富んで美しいし、

空気は良いし、渓流のせせらぎは耳に心地いいしで、

心も軽くなり、どこまでも歩けそうな気がしました。

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まあ1時間くらいなら、普段から散歩でも歩くし大丈夫だろうと

のんきに出発したのですが、甘かった……!

 

進むにつれ、だんだん道が細くなり、勾配もけわしくなってきます。

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おまけに雨が降った翌日だったせいで、

坂道も濡れて滑りやすくなっています。

(山歩きに慣れている方は別かもしれませんが、

あまり脚に自信のない方は、雨の日はもちろん

その次の日も避けた方がよさそうです)

景観を楽しむよりも足元注意という感じになってきました。

県道293号、思ったよりもハードだぁ。

 

歩き始めは、ほかに来ていた方たちと、たびたびすれ違っていたのですが、

それも少なくなり、次第に心細くなってきてしまいました。

 

以下、(その2)に続きます。

 

世紀のスーパームーンと、スーパーセーラームーンの話……

月と地球との距離が近づくために、満月が大きく見える

スーパームーン」が話題になっていますが、

本日2016年11月14日は、68年ぶりの大きさの満月が見られます。

もっとも、天候的に難しそうですけど……。

でも、満月は一晩中空のどこかにあるんだから、

まだ諦めちゃだめだっ^^;

 

一昨日、まだ少し欠けている月を見た時は、

やはり、いつもの月よりも大きいとは感じました。

 

月と地球の平均距離は、38万キロですが、

今夜、月との距離は、約35万6千キロ。

ちなみに今年一番遠かった満月は、

4月22日で、約40万キロの距離だったそうです。

意外と、遠近の差が大きいんですね。

 

月と地球の距離は、毎年少しずつ離れているそうですが、

(正確に覚えてませんが、3~4センチ程度のペースで)

それって多分、平均距離の話なんだろうなあ。

 

ただ、普段あまり月を見ていない人は、

スーパームーンでも、いつもの満月との大きさの違いが分からないそうです。

 

前に別の記事でも書きましたが、

地上近くに月がある時は、比較対象があるから大きく見えるけど

天空の月は、周囲に大きさを比べるものがないんだから、

違いが分かりにくいのも仕方がないことです。

 

自分は、火星が大きく見える「スーパーチューズデー」の時は、

よく分からなかった……というか、

どれが火星なのかも定かじゃなかったしなあ……。

(こんなんで天文好きと言っていいのだろうか)

 

 

……ところで私は、スーパームーンという単語を見るたびに、どうしても

「スーパーセーラームーン」という言葉が脳内をちらついてしまいます。

セーラームーンを「なかよし」でずっと読んでいた世代なので。

(十代の頃、漫画家志望だったので、投稿のために購読してましたが

入賞はおろか、あまり絵も上達しなかった人)

詳しい設定は忘れてしましたが、スーパーセーラームーン

セーラームーンがパワーアップした姿だったはず。

 

冥王星が太陽系の惑星から外れた時も、

「じゃあ、セーラープルートの立場はどうなっちゃうの」って

思ってしまいました。

占星術の分野でも、冥王星が外れたら

困る方もいたんじゃないかなあ……と思ったのは、

セーラームーンを読んでいたおかげかもしれません。

(調べたら、冥王星はさそり座の守護惑星らしいです)

冥王星準惑星に降格された理由も分かるものの、

個人的には、太陽系惑星として残っていてほしかったなあ。

 

……すっかり話題逸れちゃいましたけど。

お月さま、見えるといいなあ。

 

「吾輩は猫である」で笑ってしまいました……

読書の秋ですし、たまには有名な作品を読もうと思って

吾輩は猫である」を手に取りました。

これが夏目漱石の小説家としてのデビュー作なのですね。

 

夏目漱石は「坊っちゃん」と「こころ」は読んだことがありますが

個人的に、「こころ」は面白くて二度読んだけど、

坊っちゃん」はケンカしてる印象しか残ってない……(汗)

うーん、あまり文学を味わう感性がないのかもしれません。

ノーベル文学賞をとった川端康成の「雪国」も、

ぼんやりしてる印象しか残ってないという)

 

……そんな自分なので、高尚な感想は書けません。

もちろん、知識や時代背景、当時の世相に対する考察に

「へぇ~、なるほど」と思った部分も、少なからずありましたけど、

後に記憶として残るのは、「笑っちゃったところ」であるあたり……。

 

「猫」の主人の周りに集う人たちの変人ぶりも可笑しいけど、

今風に言えば、「メタ」な表現が含まれているところとか。

 

もともとは短編として書かれた作品で、

大好評につき連載することになったらしいのですが

連載2回目冒頭に相当する部分で、

猫が「吾輩は新年来多少有名になった」と自慢しているあたりとか、

連載中に批評家から書かれたことを、次の月の連載で、

作中で持ち出し、まぜっかえしている(?)あたりとか……。

 

当時の文学をあまり読んでいないから、よく分からないけど

(猫を物語の語り手にするということも、そうですが)

この時代では斬新だったかもしれませんよね。

 

また、猫が主人の心情の仔細を語っていること、

古今東西の知識に通じていることなど

なんで1歳やそこらの猫がこんなに賢くて博学なんだ!

……と心ではツッコミを入れつつ、

まあ、そうでもしなきゃ描写できないよな。と

自分なりには納得しながら読み進めていたのですが、

連載のだいぶ後わりの方になって、猫が、

吾輩は読心術を心得ていると言い出して、唐突すぎて爆笑しちゃいましたよ!!

しかも、なぜそれを心得たかなんて、余計なことを聞いてはいけないそうです。

そうか、読心術持ってるんなら、何を知ってても不思議じゃないよな!

 

文学として読むべきところは、そこじゃないんでしょうけど

なんとも次元低い感想文ですみません。

あと、結末がけっこう衝撃的でした。

この猫、賢いのか、実はそうじゃないのか……

まあ、彼がチャレンジャーであることは確かです。

 

有名な文学とはいっても、読んでみないと分からないものですね。

また、なにか面白い本を見つけたいものです。

中垣哲也さんのオーロラ上映会に行ってきました。(その2)

昨日のオーロラ上映会の記事の続きです。

 

オーロラの発生する仕組みは、

太陽のエネルギーや地球の磁力の流れと関係している、

というお話もありました。

寒いところで発生するものだって、思っている人が多いそうですが、

オーロラは、富士山を30個くらい重ねた高さで発生しているので、

その高度では、そもそも地上の温度は関係ないんだと聞いて、

なるほどー、と思いました。

 

ただ、これから太陽の活動はどんどん低下していく時期なので、

年々オーロラの活動も活発なものではなくなっていくようです。

見に行きたいなら、早く行かないと

規模が小さいものしか見られなくなってしまうのかも……。

 

子どもの頃、「オーロラを見に行きたい」というのが

自分の夢のひとつだったのですが、

なかなか現実は厳しいものですよね。

 

過去には、日本からオーロラが見えたこともあったそうですが、

残念ながら、私たちの生きている時代では、難しいでしょうとのことでした。

 

太陽のエネルギーの低下により、これから小氷河期が訪れるという説を

述べている専門家の方々もいらっしゃるようです。

地球温暖化が問題とされているますが、

一体これから地球は暑くなるのか、寒くなるのか

どっちなのでしょうね?

 

 

あと、プラネタリウムなので、南半球の星空を映してもらったのも

星好きの端くれとして、ちょっと感激。

南十字星の見つけ方も教えてもらえました!

南半球では、星空の回り方も逆向きになるそうです。

うーん、ときめいちゃいますね~。

 

ほかにもアラスカの自然の話や、オーロラ撮影秘話など、

盛りだくさんの面白いお話がありましたよ。

 

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 画像は、上映会が終了した後、販売ブースで購入したポストカードの一部です。

ほかにも中垣さんの撮ったオーロラ写真集やDVDなども販売されていましたが

……オーロラ見に行くどころか、写真集を買えるゆとりもなかったですゴメンナサイ。

 

実物のオーロラは難しいので、このポストカードを見つつ、

プラネタリウムで見たオーロラの光景を、時々、思い出したいです。

中垣哲也さんのオーロラ上映会に行ってきました。(その1)

宇部市の勤労青少年会館内のうべプラネタリウムで、

オーロラ上映会が開催されるというので、行ってきました。

主催は宇部天文同好会です。

 

自分はかなり久しぶりに行きましたが、

歴史あるプラネタリウムだそうで、

宇部出身の映画監督、庵野秀明さんが、子どもの頃

何度も通っていたと聞いたこともあります。

 

で、今回の企画ですが、

オーロラ写真家・メッセンジャーである中垣哲也さんのトークと、

プラネタリウムで上映されるオーロラの映像を鑑賞するという

なんとも素敵なイベントでした。

 

中垣さんは2002年に起きた「オーロラ爆発」という現象に

カナダで遭遇し、その光景に魅せられました。

現在は、1年の3分の1は極北で取材活動をされていて、

日本では各地の学校や、病院などで、

オーロラの素晴らしい光景を映像や講演などを通じ、伝えているそうです。

 

先に書いてしまいますが、

8日~10日は福岡・佐賀・長崎と回られるそうなので、

もしも、その方面で、ご興味のある方がいらっしゃったら、

中垣さんのウェブサイトでお知らせされているので

チェックしてみてはいかがでしょうか。

(まだ間に合うと良いのですが……)

 

www.aurora-dance.com

 

オーロラというと、色とりどりのイメージがありますが、

プラネタリウムの天井に映されたオーロラは、白っぽかったです。

人間の目はあまり暗闇で色が判別できるようにはなっていないので、

実際にはそう見える、とのことでした。

一般のイメージであるオーロラの映像は、色味を強調しているそうで、

本当はぼんやり見えるものなんですね。

疑似体験とはいえ、貴重な経験をさせていただきました。

 

ほかにも色々面白いお話をお聴きしましたが、

記事が長くなってしまいそうなので、続きはまた明日書きたいと思います。

UBEビエンナーレと、さぼてんのソフトクリーム

宇部市のときわ公園の、ときわ湖水ホールで開催されている

「第27回UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)応募作品展」に

行ってきました。

 

宇部市は、ときわ公園内はもちろん、市役所や図書館など

市内の各所に野外彫刻を点々と置いているなど、

彫刻に力を入れているまちです。

UBEビエンナーレでは、2年に1回、彫刻展を開催しています。

日本だけではなく海外からも応募されるコンテストで、

国際的に見ても、彫刻展としての歴史は古いそうです。

 

ただ、今年は実際の彫刻展の年ではありません。

会場に展示されていたのは、応募作として寄せられた彫刻の模型です。

……そりゃ、少なくない制作費がかかるんだから、いきなり本物は創れませんよね。

入選作品だけではなく、選外作品も一堂に見ることができましたが、

実際の彫刻として制作されるのは、入選した中でも選ばれた作品のみです。

 

彫刻というと難しいイメージですし、作者による解説を読むと難解なんですが、

そんな一般人である私にとっても、面白い作品は少なくありません。

これまでも、木で作った大きなバスとか、風で巨大な羽根が動くものとか

内部に入ることができたり、鏡になっていたり……

UBEビエンナーレでは、ユニークな体験をさせてくれる彫刻に色々出会えました。

 

今回の模型展でも、実際に彫刻として巨大化したところを見てみたい!

……と思える素敵な作品がありました。

応募作品展は11月3日までなので、

今日でもう終わってしまいましたが、来年が楽しみです。

 

 

ところで、ときわ公園には熱帯植物と彫刻を展示している

「ときわミュージアム」という施設もあって、

そのためか、公園内の「あんみつ姫」という甘味処で

さぼてんのソフトクリームなるものを食べることができます。

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 味は……なんだかメロン味っぽいです。

植物特有の苦みもありますが、おいしかったですよ。

本当にさぼてんが入ってるのか、お店の人に聞いてみたらよかったな。

スケッチ&散歩♪

つい忘れてしまったり、先延ばししてしまったりして、

あいかわらず、絵の練習をする時間が取れないので、

どうしたらいいか考えてまして……。

 

自分はお散歩が趣味なので、

(そりゃもう、ぼーっと1時間くらい歩き続けるくらいには)

じゃあ、お散歩の時にミニスケッチブックを持って行けばどうだろうと

思い立ちました。

 

今は気候もいいですし、

お気に入りの場所で描くのは、ちょっと楽しそうですし。

 

で、用意したものです。

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ちなみにペットボトルについている鉛筆型の物体は、鉛筆削りです。

削りかすがペットボトルの中に落ちる仕組みになっています。

去年だったかな、文房具屋さんで福袋を買った時に入っていました。

 

スケッチと言っても、絵の具を持って行こうとすると準備も大変ですが、

(ちなみに昔、道端で絵の具など道具を広げて描いていて

学校帰りの小学生たちにじろじろ見られた経験あり。。。)

鉛筆なら気軽に持ち運べるかなと。

 

実際描いてみると、

鉛筆の粉で手が黒く汚れてしまうので

ウエットティッシュなんかも持って行った方がいいかも。

……と思いながら、いつも忘れて出かけちゃうんですが。

 

せっかくなので習作1枚目をアップします。

ちょっとずつ描いていたので、お散歩3回分でできました。

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よく休憩するあずまやの、すぐ前にあった樹です。

 

実際描いてみると、枝分かれの様子や、小枝に固いつぼみがあることなど、

実物の樹を見てみないと分からないことが発見できました。

(発見できただけで描けてはいないんですけど)

 

うん……前にヌードデッサンの思い出の話の記事を書いたけど、

ヌードは、さすがに誰かに「描きたいから脱いで!」なんて

お願いするわけにもいかないですが(笑)

樹は、いつでもそこでじっとしていてくれるから有難いなぁ。

 

ところで、今日こそ最初のスケッチを仕上げようと思って描いていたら、

もう10月も終わるというのに、蚊にいくつも刺されてしまい

早々に退散してしまいました。かゆかったー。

 

もちろん、そんなことで、

思い通りに描けなかった言い訳をしたいんじゃないですけど、

今度から、ムヒも持って行った方がいいのかしら(^^;)

 

まあ、それはともかく、この方法なら少しでも絵を描けるので

冬になって寒くなるまではスケッチ&散歩、続けたいです。

「ふしぎな無限」の話。

「数学にときめく ふしぎな無限 インターネットから飛び出した数学課外授業」

(e‐教室/編 新井紀子/監修 講談社刊)

……という本を読みました。

 

インターネットで、小学生から高校生の子どもたちが

無料で利用できる、学びのためのホームページから生まれた本のようです。

数学以外にも、いろいろな勉強ができるようですが、

この本の大きなテーマは「無限」という概念のもつ不思議な性質について、でした。

 

数学なんて、基本的には学生の頃からご無沙汰ですから、

方程式とか、どうしても分からない部分は飛ばして読んでしまいましたが、

(注・学生の時にも必ずしも分かっていたとは限らない)

それでも、この本、とても面白かったです。

 

たとえば、1を3で割ったら、0.33333……と

小数点以下、無限に3が連なる数字ができちゃいますよね。

では、0.999999……と永遠に続く数があったとして、

この数は、「1と等しいか? 1より少ないか?」という議論で

子どもたちが自由に意見を出し合っていて。

(小学生の子でも、驚くほど鋭い意見を出していたり……)

 

私が小学生の頃に読んだ算数系の本でも、

同じような問題提起がされているのを読んだことがあります。

本のタイトルは覚えていませんが、そこで書かれていたのは。

 

永遠に続く小数の「0.333333……」も、分数の「3分の1」も、

どちらも1を3で割った数だから、等しい数であるはずです。

そして、この両方に3を掛けると

前者は「0.999999……」になり、後者は「1」になるので、

この2つは同じ数ではないか? という。

 

が、この本では子どもたちの数々の柔軟なアイディアと、

さらに、「そっちから来るんだ!」というような先生方の鋭い指摘で、

数学って答えは1つであっても、そこに至る考え方の道筋は色々あるのだと

教えてもらったような気がしました。

上の議論も、最終的には先生が解説してくれていましたが

(両者は「同じ」数字と言えば「同じ」なようですが、

そんなに単純な答えでもなかった)

おかげで私の小学生以来の疑問は解けたような、……でも少し、疑問が残るような。

 

うん、この、なんだか納得が行かないような感じが

「無限」の特性なのかもしれません。

 

たとえば、「自然数」(ゼロとマイナスの数を除く整数。1、2、3、4……)と

「偶数(2、4、6、8……)」と「奇数(1,3,5,7……)」では、

自然数は、偶数と奇数より沢山あるように思いますよね。

有限の世界では確かに、偶数・奇数の個数はどちらも自然数の半分となるはずです。

 

が、「無限」の世界だと、「自然数」も「偶数」も「奇数」も、

全部が無限個だから、どれも個数は変わらない(??)という事態に

なってしまう……ようなのです。

 

うーん、分かんなくて、頭の中がぐるぐるしちゃう感じです。

でも、こういう不思議な「分かんない感」は、決して嫌いではありません。

だから、たまには、こういう本も読みたくなるんですが……。

 

ただ、分かんない数式を見ることで、頭の中がぐるぐるしちゃう感じは

どうしても好きにはなれないです(笑)。

いいんだ、もう。面白いと思ったら、それでいいじゃん(^^)